簡単に、一言で彼等を言い表すとしたら、「宇宙最高のファンク・バンド」(©青木智仁)。お終い。ウソ。
1968年の結成。当初は「モータウンズ」と名乗っていたことでも判る通り、ソウルに憧れた少年達が作ったバンドです。 基本的に「ホワイト・ソウル」のバンドなのです。場所は、北カリフォルニアのサン・フランシスコが面している サン・フランシスコ湾の東側の対岸、オークランド。大都会で観光地でもあるサン・フランシスコとは違って、 港湾労働者などの多い、いわゆるブルーカラー・タウンでした。 つまり、エンターテイナーには情け容赦の無い街なのです。そこで揉まれに揉まれて、少年達は腕を上げていきました。 彼等の当時の目標は、その当時の世界のロックの聖地であった、ライヴハウスの「フィルモア」への出演と、 レコード契約の獲得でした。ただ、「モータウンズ」という名前のバンドと契約してくれるレコード会社も無く (というか、そりゃ無理でしょう。モータウン・レコード以外とは)、彼等はバンド名を変えたのです。 ここで「タワー・オブ・パワー」が誕生しました。
念願のフィルモア出演も果し、名物オーナーだった故ビル・グラハムに気に入られて彼のレーベル 「サン・フランシスコ」からデビュー・アルバムも発表。このアルバムの出来が良く、大手のワーナー・ブラザースから 声が掛かって、セカンド・アルバム『バンプ・シティ』を発表するのです。ここからが彼等の快進撃のスタートです。
ただ、相次ぐメンバー・チェンジと、世の中の流行が安易なディスコ・ミュージックに移っていった70年代の後期、 彼等は完全に失速してしまいました。CBSに移籍してからのアルバム3枚も、以前からのファンを納得させられる 出来とはならずに、契約を失ってしまったのです。彼等の「冬の時代」なのですね。
それでも、圧倒的なホーンズの人気は高く、多くのセッション・ワークをこなしていました。 ダイレクト・ディスクなどに挑戦したり、当時の大スター、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのホーン・セクションとして 活動するなどという時期を経て(ホーンズだけが来日、ということもありました)、89年の8月に、何と13年振りの来日を 果すのです。これには、涙した熱狂的なファンが一杯いました。
そして、ここからが、現在に至るまでの新たな歴史の開幕なのです。レコード契約も新たにエピック・レーベルと交わし、 新しいメンバー達と一緒に意欲的なアルバムを何枚も発表することとなったのです・・・ (会長:櫻井隆章)